狩野英孝 宮司を継ぐ覚悟
「一発屋」から「二足のわらじ」へ (ゲンダイネット)
●狩野英孝(芸人)
胸に赤いバラ、長髪、ホスト風白スーツ。「ラーメン、つけ麺、ぼくイケメン」のフレーズでブレークした、いわゆるキャラ系カテゴリーのピン芸人が、今度は宮司になる。
東日本大震災をきっかけに、実家の宮城県栗原市の桜田山神社で父親が務める宮司を継ぐ覚悟を明かした。
「後継ぎを正直考えてなかったんですが、今回の地震で守らなければ、という思いを強くしました」
故郷の栗原市は今回の地震で最高となる震度7。約1500年の歴史を持つ実家の桜田山神社では、灯籠が倒れるなどの被害があった。
2人兄弟の長男。帰省するたびに、父親から「宮司を継いでくれ」と言われ続けていたが、ついに決意した。
「できれば、弟と2人で宮司を継ぎたい」と、芸能活動と両立させたい意向だ。果たして、宮司と芸人の二足のわらじを履けるのか。
僧侶との二足のわらじで活躍している芸人といえばポール牧(05年没)がいた。もともと父親が住職で、本人も10歳で得度。高校時代は秋田県の禅寺で修行したこともあるが、芸人になるため上京し、しばらくは俗世間に身を置いた。96年に再得度し、02年には茨城県鹿嶋市に一道寺を創建。本格的に住職として活動していた。
芸人に限らなければ、曹洞宗徳雄山建功寺住職で、日本造園設計代表の枡野俊明氏が有名だ。芸術選奨新人賞、横浜文化賞奨励賞など数々の賞を受賞、ノルウェーの大学に日本庭園を造るなど、庭園デザイナーとしても活躍中。「庭造りも修行のひとつ」と毎朝5時半から僧侶として朝のお勤めも欠かさない。
また「医師と僧侶の狭間を生きる―智慧と慈悲こそが医療を救う」の著者である与芝真彰氏は、まさに医師との二足のわらじ。04年、昭和大学藤が丘病院長に就任。同時に、高輪にある浄土宗松光寺の第20世住職として活動も行っている。
さらに月読寺住職の小池龍之介氏は、03年にウェブサイト「家出空間」および寺院とカフェを融合させた「iede cafe」を立ち上げ、若者からも支持を得た。執筆活動も積極的に展開している。狩野のような掛け持ちも珍しくないといえる。
●「今年消える」と言われ続けて
実は狩野は、神主の資格を取るために国学院大学神道文化学部に進学しようとしたことも。だが俳優の夢を捨てられず、00年上京して、日本映画学校俳優科に入学。しかし映画や芸能事務所のオーディションなどで落選、困っていたところを同校講師による紹介で、マセキ芸能社に入社した。事務所の先輩に当たるウッチャンナンチャンも同校出身だ。
「ちびまる子ちゃん」の花輪くんをモデルにした勘違いナルシシストキャラクターを確立して、お笑い芸人デビュー。登場の仕方から「一発屋」と呼ばれたり、バラエティーでもすべり芸人呼ばわりされることが多かった。だが「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)のどっきり企画が発端となり、アーティスト名“50TA”名義で作詞作曲して歌った曲が奇跡的な面白さで大ウケした。さらにその着うたが爆発的なヒットを記録。また「爆笑レッドシアター」(フジテレビ系)でも、番組を仕切る内村光良にいじられ、人気を獲得した。
「今年消える芸人」筆頭候補と言われ続けながらも、現場から愛されている。あるお笑いの現場関係者は言う。
「真正面から真面目に取り組む性格が、扱いやすい。どっきりにかけられても、嫌な印象があまりない。人間性の良さが感じられるから、好かれやすい。息の長い芸人になれるかも」
人間性の良さで、宮司としても大ブレークするのか?
(日刊ゲンダイ2011年3月29日掲載)
「一発屋」から「二足のわらじ」へ (ゲンダイネット)
●狩野英孝(芸人)
胸に赤いバラ、長髪、ホスト風白スーツ。「ラーメン、つけ麺、ぼくイケメン」のフレーズでブレークした、いわゆるキャラ系カテゴリーのピン芸人が、今度は宮司になる。
東日本大震災をきっかけに、実家の宮城県栗原市の桜田山神社で父親が務める宮司を継ぐ覚悟を明かした。
「後継ぎを正直考えてなかったんですが、今回の地震で守らなければ、という思いを強くしました」
故郷の栗原市は今回の地震で最高となる震度7。約1500年の歴史を持つ実家の桜田山神社では、灯籠が倒れるなどの被害があった。
2人兄弟の長男。帰省するたびに、父親から「宮司を継いでくれ」と言われ続けていたが、ついに決意した。
「できれば、弟と2人で宮司を継ぎたい」と、芸能活動と両立させたい意向だ。果たして、宮司と芸人の二足のわらじを履けるのか。
僧侶との二足のわらじで活躍している芸人といえばポール牧(05年没)がいた。もともと父親が住職で、本人も10歳で得度。高校時代は秋田県の禅寺で修行したこともあるが、芸人になるため上京し、しばらくは俗世間に身を置いた。96年に再得度し、02年には茨城県鹿嶋市に一道寺を創建。本格的に住職として活動していた。
芸人に限らなければ、曹洞宗徳雄山建功寺住職で、日本造園設計代表の枡野俊明氏が有名だ。芸術選奨新人賞、横浜文化賞奨励賞など数々の賞を受賞、ノルウェーの大学に日本庭園を造るなど、庭園デザイナーとしても活躍中。「庭造りも修行のひとつ」と毎朝5時半から僧侶として朝のお勤めも欠かさない。
また「医師と僧侶の狭間を生きる―智慧と慈悲こそが医療を救う」の著者である与芝真彰氏は、まさに医師との二足のわらじ。04年、昭和大学藤が丘病院長に就任。同時に、高輪にある浄土宗松光寺の第20世住職として活動も行っている。
さらに月読寺住職の小池龍之介氏は、03年にウェブサイト「家出空間」および寺院とカフェを融合させた「iede cafe」を立ち上げ、若者からも支持を得た。執筆活動も積極的に展開している。狩野のような掛け持ちも珍しくないといえる。
●「今年消える」と言われ続けて
実は狩野は、神主の資格を取るために国学院大学神道文化学部に進学しようとしたことも。だが俳優の夢を捨てられず、00年上京して、日本映画学校俳優科に入学。しかし映画や芸能事務所のオーディションなどで落選、困っていたところを同校講師による紹介で、マセキ芸能社に入社した。事務所の先輩に当たるウッチャンナンチャンも同校出身だ。
「ちびまる子ちゃん」の花輪くんをモデルにした勘違いナルシシストキャラクターを確立して、お笑い芸人デビュー。登場の仕方から「一発屋」と呼ばれたり、バラエティーでもすべり芸人呼ばわりされることが多かった。だが「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)のどっきり企画が発端となり、アーティスト名“50TA”名義で作詞作曲して歌った曲が奇跡的な面白さで大ウケした。さらにその着うたが爆発的なヒットを記録。また「爆笑レッドシアター」(フジテレビ系)でも、番組を仕切る内村光良にいじられ、人気を獲得した。
「今年消える芸人」筆頭候補と言われ続けながらも、現場から愛されている。あるお笑いの現場関係者は言う。
「真正面から真面目に取り組む性格が、扱いやすい。どっきりにかけられても、嫌な印象があまりない。人間性の良さが感じられるから、好かれやすい。息の長い芸人になれるかも」
人間性の良さで、宮司としても大ブレークするのか?
(日刊ゲンダイ2011年3月29日掲載)